Philosophy
オーストリア最西端。アルプスの山あいに、ブレゲンツァーヴァルトという谷がある。
小さな谷が、外の世界に技術を輸出することは400年前からこの谷の生存戦略だった。
閉じた村ではない。最初から、開いた村だった。
戦後、石とコンクリートの時代になり木は嫌われた。
「木は燃えやすい。木は腐りやすい」木の建築は時代遅れの烙印を押され、
谷の若者は都市へ出ていった。
1960年代、都市で建築を学んだ若者たちが谷へ戻り、
実験的な建物を建てるようになった。
次第にその活動が認められるようになってきた。
谷に新しい風が吹く。




1980年代後半、とある若い職人が家業である家具工房を継いだ。
村で生きていくには家具だけでは食べていけず、窓枠や扉など頼まれれば何でも作った。
それでも彼は、いつか家具づくりだけに専念したいと思っていた。
思い切って国際見本市に出展し、数年間世界の舞台に身を投じるうちに、彼は確かな手応えを感じ始めた。
ちょうどその頃、彼の住む地域で新しい風が吹き始めていた。
故郷に戻った若い建築家が、モダンな木造建築で地域の木の文化を再興しようとしていたのだ。
最初は物議を醸したが、地道な活動を通じて少しずつファンが増えていった。
建築家から鋭敏でスリムな現代木造建築物に合う建具製作の依頼が舞い込むようになると、
職人はそのなかで新しい美の表現を学んでいった。
やがて世界中から大口の家具の注文が舞い込むようになる。

工房を大きくするか、小さいままでいるか悩んだ末に彼が選んだのは、地域の同業者たちと分業する道だった。
1999年、この協働はwerkraum bregenzerwald (ヴェルクラウム・ブレーゲンツァーヴァルト)というプラットフォームへと結実する。
今、ブレゲンツァーヴァルトは現代木造建築の聖地と呼ばれている。
彼の工房は変わらず小さいまま、世界と静かにつながり続けている。
人口約3万人の谷、ブレゲンツァーヴァルト。そこでは、小さな工房や職人たちが、それぞれの専門性を持ちながら25年以上にわたり連携し、持続可能な産業を育ててきました。会社を大きくするのではなく、小さいまま協力する。競争するのではなく、地域全体で価値を高める。その姿勢に、私たちは深く共感しました。
なぜなら、私たち自身もローカルで住まいづくりを続けてきたからです。人口減少や価格競争が進む日本において、工務店の役割は家を建てることだけではありません。地域の暮らしを支え、森や職人の仕事を未来へつなぎ、地域の価値そのものを育てていくことが求められています。werkraum TOKYOは、オーストリアの家具を紹介するために始めたプロジェクトではありません。地方から世界へ価値を生み出す仕組みです。
その思想を最も純粋な形で体現していたのが、オーストリア・ブレゲンツァーヴァルトの職人たちでした。


一脚の椅子、一台のテーブルの背景には、森があり、職人がいて、地域の文化があります。私たちは、その価値を届けることで、日本でも「小さいまま連携する」という新しい地域の可能性を育てていきたいと考えています。私たちが届けたいのは、家具ではなく、その背景にある地域の未来です。
